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母の日。幼少期の甘え経験と大人の憂鬱、そしてリスタート

今日、2024年5月12日は母の日だ。母親に日頃の感謝の気持ちを伝え、カーネーションやプレゼントを贈るイベントである。

母親との最も古い記憶はいつだろうか。まだ幼稚園生だったかと思う。ガンダムのプラモデルを組み立てていて、もちろん一人でできるわけもなく母親に手伝ってもらいながら遊んでいた。その時に母親がうっかり細かいパーツを折ってしまった。それを見た当時5歳にも満たない私は猛烈に激怒した。泣きじゃくり、母親を責め立てたのだと思う。なだめられても一向に泣き止まない私に対して、母親はとうとう私を叱り始めた。当然だ。悪意のないうっかりミスを延々と責め立てるような大人になってはいけないという教育上の考えもあってのことだとは思う。しかし、私の頭の中にあったのは、プラモデルのことでも、母親への怒りでもなく、ただ純粋に母親に甘えたい、よしよしと頭を撫でて、抱きしめてほしいという感情それだけだった。30歳を過ぎたころに、この記憶における当時の感情を言語化するに至ったのだが、それまでは20年以上の間、ぼんやりとそういう事もあったかなくらいに、記憶の奥底に沈殿していたのだった。

私の最も古く、しかし強烈に思い起こされる母親との記憶はこれが始まりのようだ。それからというもの、母親に殊更甘えたり、過度に駄々をこねるということはなくなったと思う。それをするとまた拒否されてしまうという恐れを子供ながらに学習し、聞き分けの良い男の子として育っていったと思う。少し話はそれるが、20歳を超えたころだろうか。両親から、「赤ちゃんの頃から夜泣きもせずに育てやすい子供だった」と言われたとき当時はすごく誇らしい気持ちだったが、いまはその言葉にどこか寂しさを感じる自分がいる。

母親は自分のためなら何でもしてくれた。時間とお金を最大限に投資して、「何でもやりたいことをやらせてくれた」。毎朝早く起きて朝食とお弁当を作ってくれたり、部活の遠征で早朝から車を出してくれたり、お金だってたくさん使ってくれた(もちろんダメなものはダメだと言われたが)。怪我をしたら病院に連れていき、ずっと看病してくれた。きっと、たぶん?私の母親の最大限の愛情表現はハグや甘やかしではなく、立派に成長してこの社会を自由に生きてほしいという願いなのだろうと思う。当時は、いや大人になってからのほうが自覚的に、母親のしてくれた様々な愛情表現に対して、負担をかけてしまい申し訳ないという気持ちになる。ただ、それはそれは負担などではなく(もちろん大変なことに変わりないが)、母親なりの最大限の愛情表現だったのかもしれない。母親の口癖は「自分の好きなようにしなさい」だ。その言葉の意味を、今日母の日の朝に思う。

いつだったか。小学3年生の頃だと思う。まだ母親の隣で寝ていたころ、母親がギュッと抱きしめてくれたのを覚えている。私が寝入ったころか、何も言わずにただギュッと強く抱きしめてくれた。私も何も言わずにただ黙っていた。その時の幸福感というか、脳と体中が、ぱぁー!っとあったかい何かで満たされるような、言葉では言い表せない感覚を、たまに思い出す。一生に一度の体験だった。小学3年生になった私は「お母さん、ギュッとして!」などとは言えるわけもなく、もう立派に分別をわきまえた子供だった。

 

大人になって長い時間がたつ。仕事上のちょっとした失敗や家庭内のコミュニケーションのささいなもつれで、感情がどん底まで落ち込むような絶望感、孤独感を味わう。ここに「甘え」があるのではないかと考える。「自分のことをわかってほしい」「自分を何よりも尊重してほしい」「自分を認めて存在を承認してほしい」という根源的な欲求を、仕事上の上司や同僚、パートナーに押し付け、それが満たされない場合に反動として衝動的に怒りや悲しみ、そして絶望や孤独といった感情を呼び起こしているように思える。

本来、このような自尊心、自己承認欲求の問題は、幼少期に母親に目いっぱい甘えることで満たされるのではにだろうか。幼少期に母親に十分に甘えて、自尊心を十分に養われた人間は、成長とともに母親を一人の人間として尊重し始めるころに感謝とともに甘えを卒業し、反抗期などを経て大人になる。しかし、聞き分けの良い子供を無意識に演じて母親に十分に甘えることができなかった子供は、大人になってからどこか満たされない自尊心や自己承認欲求に対して、それを穴埋めするために様々なアクションを起こし、躍起になる。一時的にうまくいったとしても、ふとしたきっかけでやはりどうしても満たされない感覚に気付き、感情の袋小路に陥ってしまう。

 

もし私のような体験や考え方に思い当たるふしがあるなら、どうしたらよいだろうか。過去は変えられないので、もうどうしようもないと投げ出してしまいたくなる人もいるかもしれない。私もそうだ。しかし、幼少期に甘えられなかったからと言って、おとなになってからも甘えられないわけではない。母親とコミュニケーションは母親死ぬまで終わらない。別に今からでも、いつからでも始められる。リスタートできる。母親との関係性、そして自尊心や自己承認欲求は上書きできる。アップデートし続けられる。「母の日」は毎年訪れるよいきっかけになると私は思う。