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”自発性”が部下を壊す。

「社会人は自発性が重要だ」「君は自発性が足りない」社会に出ると嫌でも耳にする「自発性」という言葉。この何か圧倒的な正しさを醸し出す言葉に、私も含めて多くの社会人が振り回される。

「自発性」という言葉が組織で用いられるとき、そこには目に見えない前提が隠れている。それは「”上司・組織の求めることを察して”自発的に行動せよ」という前提だ。つまり、労働者個人が自分の頭で考えて自発的に行動することには何の価値もない。価値があるのは、それが上司や組織がそのときに求めている要求に答え得る自発的な行動のみだ。

これが労働者を精神的に追い詰める。「自発的に行動せよ」と言われたから自発的に行動したのに、「なぜ相談しなかった?」「それは違うでしょう」と返ってくる。そして事前に相談したり意向を確認してみると今度は「それくらい自分で考えなよ」「指示待ちで困る」「自発性が足りない」と返ってくる。この矛盾する要求によって、どのように行動しても不利益を被る状態は、心理学で二重拘束(ダブルバインド)と呼ばれ、人を混乱させ、精神を破壊するもっとも強力な手法の一つとされる(もちろん上司のその意図はないだろうが)。

ここに”自発性”という言葉の恐ろしさがある。言ってしまえば上司が安易に用いる”自発性”という言葉は容易に、真っ当な人の精神を壊すのである。もちろん上司はそんなことを露にも思っていないのだから、部下がどれほど苦しみもがいているのか見当もつかない。そして部下が限界を迎え、休職したときに「あいつは使えない」「このくらいで根を上げて」「え、なんで?」とトンチンカンな反応を示す。

 

もちろん、社会人に自発性が必要なのは疑いようのない事実だ。上司の指示がなくとも自ら考え行動する姿勢、チャレンジ精神は自身の成長を促し、会社に利益をもたらす。それは何ら悪いことではなく、推奨されるべきことだ。これを言葉通り受け取って、何も考えずに自発性、自発性と言うものだから話がおかしくなる。

つまりは、まず労働者には明確な役割(責任)と権限(自由)が割り振られており、その役割(責任)と権限(自由)の範囲で自発性を発揮すればよいのである。言うは易し、そもそも多くの企業で社員の役割(責任)と権限(自由)の範囲は明確になっていない。言うなれば穴だらけなのだ。本来その穴は管理者でありマネジメントの役割を担う上司自身が見つけてふさぐ(組織設計する)べきものであるが、現代の上司はマネージャーでありプレイヤーでもある(プレイングマネージャー)ため、多忙を極める。本来のマネジメント活動は全体の2割にも満たない。多くの時間を業務処理に追われる。とても組織の穴を見つけてふさぐような活動には手も回らない。そこで出てくるのが”自発性”だ。「朝起きたら妖精が勝手に宿題を終わらせてくれていたらいいのに・・・」という小学生の妄想レベルの、しかし根源的で無意識の欲求が「自発性」というマジックワードを生み出す。

突き詰めれば組織に自発性は必要ない、とも言えなくはない。現に米国の職務主義(ジョブ型)では自発性ではなく、職務定義書(ジョブディスクリプション)によって、役割と権限が明確に定められ、その範囲で社員は業務遂行すれば足りる。「それは私の仕事ではない」と言えるのが米国式なのである。ただ、補足しなければならないのは、もちろん職務主義も完璧ではなく、職務経歴書に余白を持たせ、組織の穴を自ら埋めさせる余地を残している。米国式、日本式のどちらが正しいというより、意識してバランスをとることが必要だという結論にはなる。

それでも日本企業は”自発性”に頼りすぎだ。自発性を都合よく使いすぎている。そしてそれによって多くの部下が苦しでいる事実に気付くべきだ。だが、それに期待してはいないし、期待してはいけない。変わるべきはいつだって自分自身(あなた自身)だ。上司が”自発性”という言葉を用いたとき、「おっ、これは危ないな」と危険を察知しなければならない。「上司は手が回っていないんだな」「明確に指示は出せないけど何か助けを求めているんだな」と、自発性を正しく翻訳し、落ち着いて冷静にこの危機に対処しなければならない。安易に「よし自発的に頑張るぞ」などと突っ走ってはいけないのである。