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電車遅延に見る人間の狂気

都内の通勤ラッシュ帯、人身事故によると思われる電車遅延が発生する。「またかよ、死ぬなら一人で死ねよ」「ほんと迷惑!」そういう声がネットでは散見される。

 

ここまで非情ではなくとも、少なからず心の中で迷惑だと感じた人は少なく無いはずだ。

 

尊い人命が失われているにもかかわらず、私たち普通の人間が、ここまで非情な感情を抱くのは何故だろう?映画やドキュメンタリーで感動して涙し、家族との触れ合いの中で人の命ほど尊いものはないとしみじみ感じながら、朝の通勤ラッシュにおいては、一人の尊い人間の死、それも追い込まれてやむなく死を選ぶしかなかった悲しい出来事に対しては、ここまで非情な反応を見せるのは何故だろう?

 

その理由は私たちが暮らす社会、働く会社に重くのしかかるストレスやプレッシャーに他ならない。

上司や顧客からの絶え間ないプレッシャー、重くのしかかる責任、ミスをすれば厳しく叱責され、自身の立場や生活が危ぶまれる感じるほどの精神状態。

このような背景において私たち社会人は人の心を静かに、しかし確かに失っていく。人の命が失われることに悲しみを感じなくなるし、迷惑極まりないとさえ感じさせる。

 

それでも災害や事故で尊い人命が失われたというニュースを見ると、可哀想だと思い、心にくるものがある。同じ命でも感じ方が異なるのは、状況がそうさせるからだ。何も私たち自身の心が汚れているからなどでは無い。

 

戦争は人を狂気に陥れる。普通の人間は戦争だからと言って簡単に敵兵に銃を撃ったり、ナイフで刺したりできないという。軍隊では訓練によって新兵が無意識に反射的に、目の前に現れた敵を撃ち、または刺せるように人間本来の感覚を麻痺させていくらしい。私たちのこの資本主義社会も同じだ。

 

2015年12月25日、当時広告会社電通の社員であった高橋まつりさんが亡くなった。過労による自殺であったという。社会の反応は当然ながら高橋まつりさんの死を悼み、電通へのバッシングは相当なもので、社長は解任され、政府は労働時間に上限規制を設けた。国民感情と政府動かし、働き方改革へと繋がった。

 

ただ、一部のモーレツに働くエリートサラリーマンらや、仕事が大好きな電通社員からは、「自由に残業ができなくなって本当に迷惑」「残業100時間は普通。彼女は弱いから耐えられなかった」のような人として考えられない言葉もSNS上ではつぶやかれた。

 

これも通勤ラッシュのサラリーマンや戦時中の兵士と同じ反応である。私たちが生きるこの資本主義社会の負の側面である。

 

先人たちの多大な犠牲の上に、日本は戦争がないという意味では少なくとも平和な国になった。しかし、資本主義社会による犠牲者は後をたたない。過労死に追い込まれた人々はもちろんのこと、人の死を迷惑だと嘲ってしまうような人の心を無くしたように見える人たちもまた犠牲者だ。

戦争で人を殺した兵士らは、戦争が帰国してひどい精神疾患PTSDに苦しむと言う。国や家族のためにやるしか無かった兵士たちは、決して人間の心を無くした訳ではなく、自分の心を騙して、罪悪感や悲しみに蓋をするしかなかった。現代資本主義社会を生きる私たちの中にも、程度の差はあれ同じように心に蓋をして働いている人たちがいるのかもしれない。

 

自分の感情、人としての心を守れるのは自分だけだ。資本主義社会に身も心も委ねていてはいけない。まずは自分と自分の家族を大切にすることから始めると良い。そこから顧客や上司同僚などに関心の輪を広げてゆくと良い。それが狂気の資本主義社会を生き抜く一つの術だと言える。